■一触即発の2人

 最終的にハミルトンは67ポイント差で総合優勝を果たし、1955年のファン・マヌエル・ファンジオ(Juan Manuel Fangio)以来となるタイトルをメルセデスにもたらした。

 それでも、今回の戴冠は彼の意志の強さの賜物であり、何度も逆境に見舞われ、ロズベルグにたびたび首位を明け渡すなど、シーズンとして浮き沈みがないわけではなかった。

 カートレーサーだった10代のころから、ライバルであり、友人だった2人の関係は、モナコGP、ハンガリーGP、ベルギーGPで一触即発の危機を迎えた。メディアが両者の対照的な生い立ちやドライビングを盛んに報じるなか、2人は栄光をかけて激しく争った。

 両者の対立が表面化していくと、チームも2人を抑えきれなくなっていった。その結果、モナコGPでは、ロズベルグの予選でのコースアウトを巡って両者の意見が食い違い、さらにベルギーGPでは、決勝2周目で両者のマシンが接触。最終的にハミルトンはタイヤがパンクしてリタイアを余儀なくされた。

 ところが、ロズベルグがこの件でチームから叱責を受けると、逆にハミルトンはイタリアGPから5連勝を果たし、総合優勝争いでリードを奪い、その勢いのままにタイトルを獲得した。